黒恵(2)

 

 

 冬休み間近な金曜日。

 

 教室はざわめいていた。突然の環子の転校に。

 

「こんな時期に急すぎるわよー。いくらおウチの事情だからって」

 

 黒恵の周りで女の子たちが、口々に惜しんでいる。もちろん、男子たちも。

 9月の新学期にやってきた転校生は、これまたいきなり姿を消してしまった。

 美少女なのにやっかまれず、不思議なくらいすばやくクラスに溶け込んでいた環子。

 

 改めて考えると、誰にでも当たり障りなく接していたからだと気づいた。

 本当の彼女はどこにあったのか。

 

 

 

 内藤邸から帰宅したあくる朝。

 環子は何も言わず、書置き一枚残して姿を消してしまった。

 そして登校してみればこの騒ぎ。

 

 

 ――オレに一言もなく行っちゃうなんて。

 

 

 絶対なにか話してくれると思っていた。

 あの“カケラ”を通じた霊気を共有したあと、確信めいた思いがあった。

 環子と自分たちは深い縁があると。

 

 

 ――それにあの夢。

 

 

 黒恵が寝ている時、環子が傍らで涙をこぼして眠っていたことを、青嗣から教えてもらった。

 それが引っかかった。

 あの夢の中の変わった子供も、涙をこぼして眠っていた。

 これはただの直感。

 なにか、関係がある気がしてならない。それなのに彼女は姿を消してしまった。

 

 へそを曲げた黒恵は、学校帰りに病院へ直行した。

 祖父が入院しているので、時々交代で見舞いに来ているのだが、今日はほんの思いつきだった。

 

「――どう思う? じっちゃん」

 

 環子のことを、思いつくまま話して聞かせた。

 今まで環子のことを詳しく話してなかったが、今日は文句を含めて黒恵は饒舌になった。

 

「……タマコ、というのか。その子の姓は竜樹じゃないか?」

 

「えっ!? じっちゃん、なんで知ってるの!?」

 

 なるほどと頷く祖父の顔色は、今日は比較的良い。

 

 正式な退院は決まってないが、年末から正月にかけて一時退院が許可されている。

 進行しているすい臓ガンで、手術もしたが、治療というより延命措置が主体となっている状態だった。

 

 老い先短いことを承知している河野家の家長は、穏やかな眼差しで孫娘を見つめた。

 

「ばあちゃんと縁がある娘さんなんだ。俺が入院し始めた頃、見舞いにも来てくれたよ」

 

 意外な新事実に、黒恵は言葉を失う。

 何をどう訊いたらいいのか分からなくなったのだ。

 

「タマコがまだ小さい時、小学1・2年生くらいだったかな。ばあちゃんが車に轢かれそうになったのを助けてくれたことがあったんだ」

 

 黒恵を男として育てることを提案した祖母こそ、河野家直系の血筋であり、祖父は入り婿である。

 数年前に他界した祖母は、女傑と評したい性格で、両親を早くに亡くした兄弟をびしばしと教育してくれた。

 

「それ以来、時々顔を見せるようになってな。……そういえば、お前たちがいない時ばかりに来ていたから、顔をあわせた事はなかったんだなぁ」

 

 奇妙に感じたのか、祖父は首を捻った。

 

「いやぁ? 一回だけ、朱李は会ったんじゃなかったかな。確か……ばあちゃんが朱李と並ぶと“お雛様”みたいだって言ってた……ような……」

 

 よる年波に勝てず、この頃特に記憶が怪しいようで、しきりに首を捻っている。

 

「ちぃ兄と会ったことあるの!? そんなこと全然言ってなかったよ」

 

「小さな子供の頃だ、忘れてしまってるのか、俺の勘違いか……」

 

 しばし、目を瞑って過去を振り返る作業にいそしんでいた祖父が、諦めたように息を吐き孫を見上げた。

 

「それにしてもなぁ、お前の顔から察するに、タマコはウチに来ていたことを話さなかったんだな。なんだか家の事情が複雑らしくて、子供のくせに達観したような目をしていたよ」

 

 ふと寂しげな目を天井に向け、祖父の蔵之介は教えてくれた。

 

「河野家の血筋の者が狙われている、辰江や子供たちも危ないかもしれない、だから逃げて欲しい……あの子はそういう忠告を持ってきたんだ。具体的にどこの誰が、というのは話してなかったと思うが、俺も辰江も逃げ隠れってのが嫌いな性分だ」

 

「でも、ばあちゃんは病死……だよね?」

 

 そうだな――と蔵之介は瞼を閉じる。

 辰江は突然倒れ、あれよあれよという間に亡くなった。死因は“急性心不全”。

 

「辰江が死んだ時、タマコはひどくショックを受けたようだったな。それからぱったり姿を見せなくなって……しばらくしてまた訪ねてきたんだが、ずいぶん荒んだ目をしとった」

 

 辰江が亡くなったのが8年前。それから5年の空白を経て、環子は再び姿を現した。一年に一度、必ず蔵之介が一人でいる時に。

 

「この前、ここに見舞いに来た時は、悲しそうな目をしとったなぁ」

 

 

 あの子には、誰かが手を差し伸べてやらなけりゃいかん――

 祖父の話を聞いて、黒恵は無性に環子に会いたくなった。

 

 

 ――探し出してやる!

 

 

 そんな決意を固めて帰宅したら、珍しく朱李がまだ家にいた。

 

「ちぃ兄って、環子がどこに住んでいるか知ってるんだよね!?」

 

「知ってますが、あのマンションは引き払ったそうですよ」

 

 がっくりと首を落とす妹に、朱李は朗報を伝えた。

 

「ツテを頼って調べが付きました。環子が本来席を置く学校へ行ってみますか?」

 

 黒恵は一も二もなく頷いた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 次の週、朱李と示し合わせて黒恵は、某・名門お嬢様大学の裏門付近に陣取っていた。

 

「以前、環子のカバンをたまたま見てしまいましてね。免許証が入っていたんですよ」

 

 しれっと告白した朱李だが、絶対探りを入れたんだと黒恵には分かった。

 

「免許証って……車の? じゃあ18歳以上なんだ」

 

「20歳です。サバを軽く3つよんでいたんですよ」

 

 なんの疑問ももたれずに、高校2年生のクラスに潜入していた環子。

 

「ある意味すごいな」

 

 十代の3つの年の差は大きい。

 

「……ですね」

 

「――あっ、来たみたいだ」

 

 まだ遠いが、黒恵は環子の気配に気づいた。敏感になっているようだ。

 塀に隠れて覗き見ると、環子が何人かのお嬢様たちと一緒に談笑していた。

 環子は白いハーフコートを着ていて、すぐに分かった。

 高校の制服を着ていた環子と、女子大生然としている環子。どちらもそのシーンに溶け込んでいる。

 

 間もなく、環子ともう一人が裏門へと近づいてきた。

 朱李の調べでは、環子の所有している車の駐車場へは、裏門からの方が近いのだ。だからここで待ち伏せていた。

 

 門を出た直後を狙って、朱李と黒恵は両脇から挟み撃ちした。

 ぎょっと驚いたのは連れの女性たちで、環子は目を見張っていたが、こういう事態があることを予測していたらしく、そんなに動揺しては見えなかった。

 

「おねえさん、彼女を借りてもいい?」

 

 黒恵が連れの女性へ、にっこり笑いかける。

 思いがけない美少年の襲撃に、彼女は驚きつつも嫌な気はしなかったようだ。

 

「申し訳ありません。僕たちは彼女に急ぎの用があるので」

 

 環子の腕を捕らえている美青年に、お嬢様はとろけたように、「どうぞ」と簡単に譲ってしまった。

 

 両脇を固められた環子は、朱李と黒恵の顔を見ることなく、諦めの付いた溜息を大きく吐き出したのだった。