――白かった。
ただそれだけの、あるのは己の意識のみの世界。
自分は何なのか、それさえも無かった。
突如空間が歪み、瞬く間に色彩が形を成していく。
象られた“それ”は、“人”というものだと自分は知っている。
“それ”は音を発した。
言葉という、今の己の意識を現したそれと同じもの。
数瞬置いて理解されたその意味。
「一緒においで。これからは二人で生きていくのだから」
手を……
(手だ)
差し伸べる“それ”に、自分も同じように返す。
とるべき行動は決まっている。
――そう、初めから定められていたのだから。
◆◇◆
覚醒した時、自分の身に起こったことが即座に理解出来なかった。
(――何故こんなところに横たわっている?)
視線を巡らせた先に、見知らぬ男が立っていた。
長い黒髪の、凍えそうな翠の眼差し。
容貌の美醜よりも、その眼がひどく恐ろしかった。
(誰だ――)
――いや、知っている?
声を出したつもりだったが、掠れた呻き声にしかならなかった。
だが男にはそれで通じた。
「何故そんな様になったかは、今は問題ではない。死にかけている、そこが肝心だ」
とんでもないことをさらりと言う。
(誰が死にかけてるだって!?)
思わず上体を起こしかけたが、頭の天辺から足の先まで激痛が駆け抜けた。
指一つ、満足に動かせない。
男の言葉が脳裏にじわりと染みていく。
「現実逃避もいいだろう。だが、生き延びる、ただ一つの機会を逃すことになる」
脅すでも、急かすでもなく、あくまでも淡々と言い放つ。
痛みは増すばかりで、嫌でも男の言葉が真実味を帯びていく。
それでも自分が死に掛けているという現実は受け入れ難い。
(助けるって言うのか? その機会っていうのは何だ)
そのとたん、男の口の端がくっと持ち上がった。
笑ったようにも見えなかったが……
「質問ばかりだが、まあいい。お前の命を救う為に課す条件は……」
ちらりと窺うような色を過ぎらせた、凍りつくような眼差しが降って来た。
凍る翠には魔力があるようで、本能的に目を瞑る。
「一人の少女を守る、それだけだ」
(それは誰だ? 何から守るっていうんだ? 期限は?)
「命をあがなう条件が易いものだとは思うな」
声に厳しさが加わった。
それにひるむことなく問い続ける。
(どこにいる?)
「いずれ会う」
帰ってきた男の返事は、不親切極まりない。が、それ以上説明する気はさらさら無いようで、立ち去る気配がした。
一方的な物言いに腹が立ち、恐れより怒りが勝って目を見開いた。
逃すまいと強く叫ぶ。
(待て!あんたは誰なんだ!? 助けると言って何もしてないし、顔も名前も知らない相手をどうやって分かれっていうんだ!!)
叫びは声にならず、むなしく無視される。
更に呼び止めようと、息を吸いかけたが、激しく咳込み吐血した。
気が遠くなる。男の姿は霞んでもう見えない。
「………………ぶ?」
(――!?)
「ちょっと、大丈夫!?」
いきなり掛けられた第三者の声。
はっとした、その時はじめて彼は現実の世界で、“無傷”で目覚めた。
――それから更に時は経ち、物語は始まる。
***つづく***
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