夢見る竜

 

 

 大体のあらましを聞き、青嗣も祖母の言葉を色々と思い出していた。

 

「俺たちの先祖は竜。『竜樹《たつき》』は『リュウジュ』、つまり竜の宝玉。浅からぬ縁があるはずだし、親戚みたいなもんだってばあちゃんが言っていたな」

 

 青嗣は懐かしんでいるが、環子は視線を落とした。

 

「その『リュウジュ』の家系が、『リュウオウ』に仇なそうとするなんて……」

 

 

 許せない――環子は低くつぶやいた。

 

 

 “おばば様”の命令に従ってはいても、譲れない一線があった。

 自分でも意外だったのだが、不思議なくらい竜王への思慕がある。害なすことなんて出来ない――と。

 

 

 青嗣たちは、すでに環子を敵だとはみなしていなかった。

 遠く離れていた親族が戻ってきたような感覚で、受け入れるのにためらいがない。

 それは今年、環子に会って以来、どこかに潜んでいた感情かもしれなかった。

 

 

 

 真白の“ヤミ鍋”を平らげ、それぞれに引きあげていった兄弟たち。

 居間に残った環子はソファで物思いに沈む。考えなければならないことはたくさんあった。

 これからの竜樹家での自分の立ち位置、利害関係に敵味方の判別、そして河野兄弟との距離の取り方。

 

 考えに没頭して落とした視線の先に男の足を見つけた。はっとして顔を上げると朱李が立っていた。

 

「――よければ、あの“カケラ”を見せていただけませんか」

 

 気づけば居間には環子と朱李しかいない。

 少し緊張した環子は、それでも朱李の希望に応えた。

 首にかけた細い鎖には小さな巾着が結び付けられていて、その中から“カケラ”を取り出した。そしてそっと朱李の手の平に乗せる。

 

 すんなり手渡されたことに驚いた朱李は、更に目を見開いた。

 

 “カケラ”から色とりどりの光が舞い上がり、微かな旋律が螺旋となって彩を添える。

 

「……昔と同じ……ですね」

 

 黒恵が手にしていた時は、こんな現象は起こらなかった。朱李の能力に感応しているのかもしれないが、よく分からない。

 

 光の乱舞に目を奪われている環子の、手の平を上向かせ“カケラ”を返す。その上から、自身の手を重ね、もう一方の手で“カケラ”ごと環子の手を包み込む。

 目を見張る環子は、ただただ朱李を見つめた。

 

「――約束」

 

 ぽつりと朱李が言った言葉にどきりとする。

 

「破ったことにはならないですね? “カケラ”のことを言い出したのはあなたですから」

 

「……そうね」

 

 つと、朱李の顔が大接近した。思わず目をつぶり、身をすくめた環子の耳元で、

 

「――もう、逃げないでくださいね」

 

 朱李の声が低くささやく。

 ぱっと目を開けた環子の至近距離にまだ朱李の顔があって、硬直している間に唇に何かが触れた。

 混乱してなすがままの環子から、朱李は身を離す。

 

 

 ――今、何があったの!? 何が口に触れて……え!?

 

 

 朱李の少し照れた笑み。こんな顔ははじめて見た。

 ようやく何が起きたか察した環子だが、頭に血が上って抗議のセリフが出てこない。

 

 朱李はそんな環子の様子に、新鮮な驚きを覚えた。何しろ顔から指先まで真っ赤なのだ。

 

「まさか……と思いましたが、キスも初めて……ですか」

 

 わなわなと震えだした環子は、朱李の両手から自身の手を取り戻す。

 

「……ヒトに触られるのが嫌なわたしが……そんな経験、あるわけないでしょーっ!!」

 

 錯乱してクッションを掴み、思いっきり朱李をぶつ。生憎、難なく防御されてしまったが。

 そんなじゃれ合いのさなか――

 

「ちぃ兄のスケベっ! オレだって環子が好きなのに!!」

 

 風呂上りの黒恵がずんずんとやってきて、朱李と環子の間に割ってはいる。そして兄から環子を遠ざけるように両腕に抱きしめた。

 もう環子は訳が分からない。

 

「黒恵……それは……どういう意味ですか」

 

「スキに意味なんてなーい!」

 

 朱李の頬が引きつる。育て方を間違った――と、つくづく後悔した。

 そんな光景を、大小二つの影が覗きこむ。

 

「……ああいうのも三角関係ってゆーのかな」

 

「真白、ちゃちゃは入れないように! 余計こじれる」

 

 長兄は、頭を抱えて溜息をこぼした。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 そこより遠い、遥かに遠い、竜宮城の中――

 

 

 

「いかがなされた? またなんぞ、竜珠の精に変化がありもうしたか」

 

 白いひげを長くたくわえた、亀に似た容貌の老人が、声に振り返る。

 声の主は人の姿をしたがっしりとした男で、竜王たちの縁戚にあたる、数少ない内の一人だ。

 

「霊気のカケラを感じた気がしましてのぉ」

 

 そしてまた、眠ったままの竜珠の精を眺め、ゆるゆると首を振った。

 

「期待し過ぎかもしれぬ」

 

 気持ちは分かる、と彼は頷く。

 

「天の動向は知れず、竜王たちがおられる人界を窺う事も出来ず、我らは竜宮に封じ込められたまま。――あれからもう何千年経ったのやら」

 

 遠く、彼方を見やる男に、亀の老人は語りかける。

 

「わしは時折不安になるのです。本当に竜王たちはここにおったのか。閉じ込められた我らが夢想したことではないのか……と」

 

 男は力強く首を振る。

 

「夢ではない。これ、ここに、竜珠の精の抜け殻があるではないか」

 

 眠る少年を見つめたまま、老人の顔色は晴れない。

 

「あの戦乱のさなか、皇女(ひめ)が彼奴らめに渡さぬよう、器だけ残し連れ去った」

 

 そうだ。竜珠を手に入れ、更に竜王たちを追い詰めようと企んだ一味。その魔の手から守ったのが天帝の皇女、竜王たちの従兄妹。

 

「王たちは約束された。お忘れか」

 

「忘れはしませぬ。『必ず還る』と旅立たれたあのお姿を、今も鮮明に覚えておりまする」

 

 ただ――永すぎた。

 

 何千年も待ち続ける間、何の変化もないこの竜宮で、不安に駆られる者たちが増えていた。

 その最中での竜珠の精の変化だった。また何か兆しがないかと、みなで入れ替わり立ち代り様子を見に来ている。

 

「わしは信じている。王たちの帰還を」

 

「わしも――信じておりまする」

 

 男は強く頷いた。そして老人をいざない、部屋を後にした。

 残ったのは変わらず、竜珠の精だけ。

 

 

 

 精霊はまどろみ続ける。

 皇女(ひめ)のなかで目覚める時を待って。

 

 

 

 ----------おわり----------