まだあまり馴染みの薄い教室とクラスメートが登校しつつある中で、男子学生の制服に身を包んだ華奢な美少年が、親しげに環子に話しかける。
「ちぃ兄がさぁ、朝帰りしたんだ」
にまにま笑いながら、朝一番の発言がこれ。
とたんに環子の脳裏に浮かび上がる、ある一つの光景。
早朝、耳元でささやかれた低い「おはよう」の声。
「……………………それで?」
環子は素知らぬ顔を装ったが、それとわかるほど動揺していた。
美少年は追い打ちをかける。
「大人の階段を昇ちゃったんだな」
美少年こと黒恵(くろえ)がぐっすんと涙を拭く振りをして、からかい半分で言うと、
「冗ぉ談っっ、何言ってんの! 何にもないわよ!! バカ言わないで!」
環子の反応は、真っ赤な顔での激しい反論。珍しいことだと黒恵は目を丸くした。
「……て言うことは、やっぱり一緒にいたんだな、環子」
きれいな顔をしかめている環子を見て、くつくつと肩を震わせて笑う。
「こういう手に引っかかるとは思わなかったよ」
簡単な挑発に乗ってくるほど単純ではないはずなのだ、環子は。
「ちぃ兄は誰と一緒かだなんて言わなかったけど、様子で大体察しが付いたんだ。朝まで一緒にいるなんて熱烈だぜ!」
「……………………………………なんで熱烈なのよ」
「あの兄貴を見りゃ分かるだろ? 女性にすっげー淡白! 冷淡! 見てるこっちが寒くなるほどなのにさ、寄ってくる者が後を絶たず。デートしたって必ずその日のうちに帰ってきてたんだ。それが環子相手じゃ……(にやにや笑って)自分から女のコのために動くのなんて初めてだよ」
「ふぅーん、そう。それはそれは……」
迷惑な話だ――と環子は思ったのだが、相手には伝わっていないようだ。
「それに、あのちぃ兄を笑い飛ばしたのって環子くらいだぜ」
「だっておかしくない? あーんな顔してあの言葉遣い。昔の少女漫画の王子さまって感じがモロで、ついつい笑っちゃうのよね」
彼に見とれる女性陣は数多く存在するが、笑い飛ばしたのは環子だけだろう。だから余計に興味を持つのかもな――と黒恵は思う。
ちぃ兄こと朱李は、この黒恵のすぐ上の兄である。
青嗣(せいじ)・朱李(しゅり)・黒恵(くろえ)・真白(ましろ)の四人兄弟は、知り合った環子に何かにつけ構う。特に朱李と黒恵は。
「オレは見慣れてるし、聞き慣れてるからなんとも。でも、そんな環子だからこそお似合いだと思うけどな」
「…………結構よ」と言ったとたん、聞き耳を立てていたクラスの女生徒が、「ええー?」と非難の声を上げた。
「なんなのよ!?」
環子はちょっとびっくりした。
「だってぇ、朱李さんっていったら我が校伝説の美少年でしょう? 大学に行ってしまった今だって、根強いファンが多いんだから! クロエの兄弟ってみぃんな美形だけど、朱李さんは特別よぉ」
「ほらな、これがフツーの反応」
黒恵が両掌を上に向け肩をすくめて見せる。
「フツーじゃなくていいわよ」
「そりゃ確かに、タマコって特別美形だもん。ここまでくると嫉妬を超えちゃうわよねー」
「ねー」、と少女たちは頷きあう。
特別美形か――そんなことに頓着したことがあまりない環子は、黒恵に矛先を向けた。
「特別な美形と言えば黒恵だって。女にしておくのがもったいない……」
と言いさしたとたん、
「いやーーーっっ!!」と絶叫されて、黒恵と環子は後ずさる。
「クロエは“美少年”なのよ!!! 女なんて言わないでぇーーー!!」
「まあオレは別に男でいいんだけど……」
しり込みしながらぼそぼそ言う黒恵に、環子はキッと視線を向ける。
「だめ! いい加減目覚めないと。折角きれいな女の子に生まれついたのに、どうしてそうなのかしら。皆もよ! どんなに現実から目を背けても、黒恵は女子トイレに入るし、胸だってあるわ!」
先に妙なことを言った事は棚にあげ、環子は黒恵の胸のふくらみがある部分に触れた。
「Cカップは軽くあるわね」
ふっと不敵な笑みを浮かべてクラスメイトを見返すと、彼女たちは涙を流さんばかりに「やめてぇ」と哀願していた。
――無害な理想の異性――
美形で成績もほど良く、スポーツ万能で喧嘩にも強い。
女性にしては長身な黒恵は、女の子にやさしい、まさに理想の異性。女子校ならよくある光景だが、ここは男女共学。男子の立つ瀬は無い。
「皆もそういうし、オレはこれで構わないんだ。大体なぁ、15年間男として生活してきて、今更女に戻れって方が無理があるぜ!」
「どうして男として育ったの?」
勢いでつい環子は訊いてしまったが、
「オレに興味ある? ふふ、これで相思相愛だな、環子」
と茶化され、あまつさえダンスでパートナーをリードするような格好で上向かされ、顔を近づけてくる。
オンナノコたちの目は萌えていた。
「ちょっと……黒恵?」
悪戯っぽく笑って彼女は「あとで」とそっと環子に耳打ちした。
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